「エール」山藤太郎役の柿澤勇人さんプロフィールと藤山一郎さん情報

(C)ホリプロ 柿澤勇人朝ドラ

朝ドラ「エール」で主人公・古山裕一が作曲した曲を歌うコロンブスレコード所属の歌手・山藤太郎(やまふじ たろう)、演じる柿澤勇人(かきざわ はやと)さんのプロフールです。

そして、山藤太郎の実在モデルと言われる藤山一郎さんについてもその経歴を簡潔にまとめてみました。

中高年の方は、実際にテレビ画面でご本人を見たことがあると思いますが、若い人の中には誰?という人もいると思われるので、お節介ですが書いておきます。

柿澤勇人さんプロフィール

(C)ホリプロ 柿澤勇人

生年月日:1987年10月12日(31歳)

出身地:神奈川県

血液型:B型

身長:175cm

サイズ:B)89cm W)70cm H)88cm S)26.5cm

趣味・特技:サッカー、ピアノ、英語(日常会話)、温泉巡り

デビュー:2007年(劇団四季公演「ジーザス・クライスト=スーパースター」)

略歴
幼少からサッカーに打ち込み、名門・都立駒場高校に推薦で入学するほどの実力だった。高1のときに観た劇団四季「ライオンキング」に衝撃を受け、「シンバ」を演じたいと俳優を志す。高校卒業後、07年に倍率100倍以上の難関を突破し劇団四季の養成所に入所。同年デビューし、翌08年からは立て続けに主演を務める。09年末、更なる活動の場を求め同劇団を退団。11年よりホリプロ所属。

出典引用元:所属事務所 柿澤勇人(カキザワハヤト) | ホリプロオフィシャルサイト

「エール」で歌手・藤丸として出演する井上希美さんも劇団四季出身。やはり、この「エール」は歌唱場面が数多く出てくるので、歌が上手くければ出演できないという暗黙のルールがあるようです。

そして、柿澤勇人さんですが、よくテレビドラマでは拝見しておりました。2016年のNHK「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」では、吉良上野介の実子にて上杉藩主の上杉綱憲を演じていたのを鮮明に覚えています。

きよ(武井咲)が身分を偽って吉良家に女中として入り、上杉綱憲が高熱を出した時に熱心に看病して、きよに色目を使う若殿様。

また、2019年のフジテレビ系の「TWO WEEKS」では、その第4話にゲスト出演。

暴漢に襲われているところを結城(三浦春馬)に助けられ、一旦は自分の家に逃亡中の結城を匿うが…、結局は警察に通報してその逮捕現場をカメラで撮影するという酷い若者。

そして直近では、日テレ「トップナイフ-天才脳外科医の条件-」の第5話でもゲスト出演。

天才ピアニスト景浦祐樹(柿澤勇人)が、耳が聴こえにくいと病院を訪れて、巨大な聴神経腫瘍が見つかるものの、景浦は命よりも聴神経と顔面神経の温存を希望するという展開でした。

テレビドラマの出演歴は今一つですが、劇団四季退団後のミュージカル出演歴は実に素晴らしく、以下が柿澤勇人さんが主演した作品になります。

「ロミオ&ジュリエット」※城田優さん、古川雄大さんとのトリプルキャスト

「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」

「デスノート The Musical」※浦井健治さんとのダブルキャスト

「ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯」

「フランケンシュタイン」※中川晃教さんとのダブルキャスト

「ウエスト・サイド・ストーリー Season3」※浦井健治さんとのダブルキャスト

「スクール・オブ・ロック」※西川貴教さんとのダブルキャスト

ということで、ミュージカルではその知名度・実力ともに抜群の柿澤勇人さん、朝ドラ「エール」の東京編レギュラー出演をきっかけに全国的にブレークしましょうとエールです。

追記
柿澤勇人さんの祖父・清元榮三郎さんは三味線奏者で人間国宝。曾祖父の清元志寿太夫さんも浄瑠璃の語り手で人間国宝とのことです。

藤山一郎さん情報

朝ドラ「エール」のコロンブスレコード所属の歌手・山藤太郎の実在モデルと言われている歌手の藤山一郎さんについて簡潔にまとめてみました。

生年月日:明治44年(1911年)4月8日
出身地:東京都中央区日本橋蛎殻町

大正7年(1918年)、慶應義塾幼稚舎に入学。
大正13年(1924年)、慶應義塾普通部に進学。
昭和4年(1929年)、東京藝術大学音楽学部に入学。

実家の家業が傾き廃業。実家の借金返済のためにレコードの吹き込みの仕事を始める。

昭和6年(1931年)、古賀政男作曲の「酒は涙か溜息か」を歌い大ヒット。同じ年の古賀政男作曲「丘を越えて」も大ヒット。

昭和8年(1933年)、東京藝術大学音楽学部を首席で卒業。ビクターに入社。

昭和11年(1936年)、テイチクへ移籍して、古賀政男作曲の「東京ラプソディ」を歌い大ヒット。この時の歌唱印税で実家の借金を完済。

昭和12年(1937年)、日中戦争が始まり、戦意を高揚させる曲を歌うようになる。テイチクの藤山一郎、ポリドールの東海林太郎、この2人が世間の人気を二分する。

昭和14年(1939年)、古賀政男とともにコロムビアへ移籍。

昭和16年(1941年)、南方慰問団に加わり海外へ。

昭和20年(1945年)、日本敗戦をジャワ島で知り、インドネシア共和国の捕虜となる。

昭和21年(1946年)、広島県大竹港に帰国。

昭和24年(1949年)、サトウハチロー作詞、古関裕而作曲の「長崎の鐘」を歌いヒット。

昭和26年(1951年)、第1回NHK紅白歌合戦に白組のキャプテンとして出場(歌手として計10回の出場)。※平成4年(1992年)第43回紅白歌合戦「蛍の光」の指揮者としてが紅白の最後の出演)。

昭和29年(1954年)、コロムビアの専属歌手をやめ、NHKの嘱託となる。

昭和47年(1972年)、初代会長であった東海林太郎の死去に伴い、日本歌手協会会長に就任。

平成4年(1992年)、国民栄誉賞を受賞。

平成5年(1993年)、急性心不全のため死去。享年82歳。

いや、実に尊敬すべき人生で、僕のような一庶民がその経歴を語るなどとはおこがましく「長崎の鐘」を聞いて我が人生を見つめんかな、です。

朝ドラ「エール」ネタバレあらすじを最終回まで。キャスト一覧も。

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