NHK連続テレビ小説(朝ドラ)第102作目となる「エール」。そこで主役である古山裕一(窪田正孝さん)と妻・音(二階堂ふみさん)に、大きな影響を与えることになるオペラ歌手・双浦環(ふたうら たまき)。
演じるのは、2017年放送のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」以来3年ぶりのレギュラー出演となる柴咲コウさん。
NHKによる発表では、柴咲コウさんが演じるのは、世界的に活躍するオペラ歌手・双浦環。
世界的に活躍するオペラ歌手。大正12(1923)年秋、11歳の音(清水香帆)は、豊橋の教会で出会ったオペラ歌手・双浦 環の歌声に心ひかれる。この出会いがきっかけで、音はプロの歌手を目指すことになる。月日はすぎ、昭和7(1932)年1月、東京の音楽学校で音(二階堂ふみ)は憧れの双浦 環と再会。双浦 環はのちに音をはじめ、裕一(窪田正孝)にも多大な影響を与える存在となる。
【速報でーす!】
3/30(月)スタート、連続テレビ小説「エール」
新たに、柴咲コウさんの出演が決定しました。▼くわしい記事を読む▼https://t.co/6jYXoI11mQ
— NHK広報局 (@NHK_PR) February 3, 2020
オペラ歌手・双浦環(ふたうら たまき)の実在モデルと言われる、日本人初の国際プリマドンナ・三浦環さんの情報をまとめてみました。
三浦 環さん情報まとめ
本名:柴田 環(しばた たまき)
歌手名:三浦 環(みうら たまき)
生年月日:明治17年(1884年)2月22日
出身地:東京府東京市京橋
明治33年(1900年)
東京音楽学校に入学。
陸軍三等軍医正、藤井善一と結婚(明治40年に離婚)。
明治36年(1903年)
奏楽堂(旧東京音楽学校奏楽堂)で催された日本人による初めてのオペラ公演に出演。
※奏楽堂は東京・上野公園にあり、日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホール。
明治37年(1904年)
東京音楽学校を卒業。後進の指導にも当たり、後に助教授に就任。
明治45年(1912年)
帝国劇場に所属して、レコードの初吹き込みを行う。
大正3年(1914年)
前年に再婚した医師の三浦政太郎とともにドイツに留学。後に第一次世界大戦の戦火を逃れてイギリスに移動。
大正4年(1915年)
イギリスでオペラデビュー。渡米し、ボストンで「蝶々さん」を演じる。これを皮切りに、ニューヨークやサンフランシスコ、シカゴで公演活動をする。
その後、ヨーロッパ、アメリカと、世界を股にかけて歌手活動を続ける。
昭和10年(1935年)
シチリア島のパレルモで「蝶々夫人」出演2000回の記録を達成。これを機に日本帰国を決断。
昭和11年(1936年)
日本国内で、オペラへの出演やリサイタル開催、レコーディングなどを行う。
昭和19年(1944年)
山梨県の山中湖に実母とともに疎開。
昭和20年(1945年)
終戦から4か月後の12月に日比谷公会堂でリサイタル開催。
昭和21年(1946年)
膀胱癌のため永眠。享年62歳。
その経歴を改めて書いてみると、日本人初の国際プリマドンナと呼称されるのがよく分かります。大正時代、移動は船がメインだった時代にアメリカとヨーロッパで歌手活動、素晴らしい行動力だと感服しきり。
そして、朝ドラ「エール」の劇中では、主役・古山裕一のモデルと言われる古関裕而さんが作曲し、三浦環さんが昭和10年(1935年)にレコードに吹き込んだ流行歌「船頭可愛や」なども、実際に柴咲コウさんによって歌われるとのことです。
「船頭可愛や」、その音源をYouTubeで探してきました。
「船頭可愛や」
作詞 高橋掬太郎さん
作曲 古関裕而さん
歌唱 三浦環さん
三浦環さんをモデルにした双浦環を演じる柴咲コウさんですが、その歌唱力は折り紙付き。RUI(ルイ)名義での作品も数多く、ここであえて言及する意味がないほどの名作揃い。
ということで、平成30年(2018年)に、全世界向けに英語詞の楽曲「Blessing」を制作し、国外活動の際のアーティスト名としてMuseK(ミュゼック)を名乗ることを発表した柴咲コウさんの音源もまた探してきましたので、どうぞ。
朝ドラ「エール」ネタバレあらすじを最終回まで。キャスト一覧も。
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