2020年度前期のNHK連続テレビ小説「エール」。朝ドラとして102作品目となるこのドラマで、主役・古山裕一の実在モデルと言われる古関裕而(こせき ゆうじ)さんについてまとめてみました。
古関裕而さんは、明治42年(1909)福島県生まれ。そして、数々の名曲を生み出した大作曲家で、平成元年(1989)に80歳で逝去されています。
その名を知らない若い人でも、曲を聞いたら「ああ~」とうなずく、日本を代表するヒットメーカーの足跡を改めて書き残しておきます。
古関裕而さん略歴
明治42年(1909)福島県福島市生まれ
大正11年(1922)旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)入学
大正14年(1925)同校卒業後、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に入行
昭和 5年(1930)20歳の時、愛知県豊橋市在住の内山金子(きんこ)と結婚&上京
昭和13年(1938年)従軍音楽部隊として上海、南京を慰問
昭和17年(1942年)南方慰問団派遣員として、シンガポール、ビルマ(現在のミャンマー)で慰問に従事
昭和19年(1944年)ビルマで「ビルマ派遣軍の歌」を作曲
昭和47年(1972)「オールスター家族対抗歌合戦」審査員
昭和59年(1984)同番組降板
平成元年(1989)80歳で逝去
古関裕而さんの生家は、福島県福島市大町にあった呉服店「喜多三(きたさん)」。古関裕而さんが旧制福島商業学校在学中に倒産してしまうのですが、この時代での呉服店ということで、幼少時代は裕福だったことは間違いないようです。
呉服店「喜多三」があった福島市について、その歴史を書いておくと、江戸時代から蚕種、生糸、織物の集散地として栄えていたとのこと。
福島県と言えば、会津藩が有名ですが、江戸時代後期には会津藩に次ぐ石高を持つ福島藩が、現在の福島市周辺を統治。
そして、戊辰戦争の折、福島藩の最後の藩主・板倉勝達が奥羽列藩同盟に組し、結果的に廃藩置県で福島藩が消滅、という流れです。
古関裕而さんが作曲した作品
小生が一度は耳にしたことがある曲を、ユーチューブで探してみました。タイトルをタップすると、ユーチューブの別画面が立ち上がりますので、そこで視聴してみてください。
1931年「紺碧の空 ~早稲田大学応援歌~」
1935年「東京農業大学応援歌 カレッジソング」
1936年「大阪タイガースの歌(六甲颪)」
1939年「巨人軍の歌(野球の王者)」
1942年「斷じて勝つぞ」
1943年「決戦の大空へ」
1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」
1944年「ラバウル海軍航空隊」
1944年「嗚呼神風特別攻撃隊」
1944年「フィリピン沖の決戦」
1948年「栄冠は君に輝く」
1949年「長崎の鐘」
1949年「スポーツショー行進曲」
1949年「イヨマンテの夜」
1950年「ドラゴンズの歌」
1953年「君の名は」
1953年「ひめゆりの塔」
1954年「高原列車は行く」
1961年「モスラの歌」
1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」
1964年「オリンピック・マーチ」
1968年「早慶讃歌 ~花の早慶戦~」
1968年 青年海外協力隊隊歌「若い力の歌」
1970年「我ぞ覇者 ~慶應義塾大学応援歌~」
戦時中は、軍歌の作曲が多く、自分が作った曲で若者が戦地で奮闘、あるいは戦死するという事実に、かなり苦しまれたと言われています。
この当時、軍に逆らうことなどできるはずもなく、まさにお気の毒という状況だったかと思います。
こう書いてて、思い出したのが朝ドラ「わろてんか」での映画制作への検閲。

結局、伊能栞はこんな国が嫌になって海外に高飛びしましたが、古関裕而さんは軍の強制からは逃れられなかったということだと思います。
その辺りの苦悩が、もしかしたら「エール」の見どころかもしれません。ということで、朝ドラ「エール」主役・古山裕一のモデルと言われる古関裕而さんの情報まとめでした。
お読みいただき、誠にありがとうございました。
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