朝ドラ「エール」の作詞家・村野鉄男の実在モデル・野村俊夫さん情報

NHK連続テレビ小説

朝ドラ「エール」で、主人公・古山裕一の幼なじみにして、のちに“福島三羽ガラス”と称えられた作詞家・村野鉄男。演じるのは俳優の中村 蒼さん。

その実在のモデルと言われている作詞家・野村俊夫さんについて、まとめてみました。

野村俊夫さんは福島県福島市で、明治37年(1904年)に生まれています。近所には古山裕一のモデルと言われる古関裕而さんが住んでおり、まさに幼なじみ。

年齢は、野村俊夫さんが古関裕而さんより5歳年上になります。

本名は鈴木喜八といい、大正13年(1924年)に福島民友新聞社に入社したとのこと。

福島県には、いわゆる二大新聞社があり、福島民友新聞社と福島民報社がそれに当たります。

●福島民友新聞
創刊:明治28年(1895年)
発行部数:175,058部(2019年4月時点、日本ABC協会調べ)
ツイッターフォロワー5,296(2020年1月時点)

●福島民報新聞
創刊:明治25年(1892年)
発行部数:248,695部(2019年4月時点、日本ABC協会調べ)
ツイッターフォロワー80,648(2020年1月時点)

創刊の歴史や発行部数、それにツイッターのフォロワー数を考えると、福島民報社の方がやや優勢かと。

でも、この朝ドラ「エール」で、福島民友新聞社出身の野村俊夫さんが取り上げられることで福島民友の意気が上がると思われ、頑張れ福島民友です。

ナンバー1よりナンバー2を応援したがりなので、福島民報さん、許して下さい。

で、野村俊夫さんは7年間の勤務を経て福島民友社を退社。

すでに東京でコロムビアの専属作曲家として活躍していた古関裕而さんを頼って上京。

フリーの作詞家として活動を開始し、昭和14年(1939年)には、古関裕而さんと同じくコロムビア専属の作詞家となったとのことです。

野村俊夫さんの代表作品

以下、野村俊夫さんが作詞した主な曲になります。

昭和13年(1938年)
忠治子守唄」作曲:服部逸郎 歌:東海林太郎

昭和14年(1939年)
上海夜曲」歌:藤山一郎

昭和15年(1940年)
暁に祈る」作曲:古関裕而 歌:伊藤久男

昭和19年(1944年)
あゝ紅の血は燃ゆる」歌:酒井弘 安西愛子

昭和23年(1948年)
湯の町エレジー」作曲:古賀政男 歌:近江俊郎

シベリア・エレジー」作曲:古賀政男 歌:伊藤久男

昭和31年(1956年)
怒涛の男」作曲:古賀政男 歌:美空ひばり

メコンの舟唄」作曲:古関裕而 歌:伊藤久男

昭和32年(1957年)
東京だョおっ母さん」作曲:船村徹 歌:島倉千代子

昭和34年(1959年)
東京タワー」作曲:船村徹 歌:美空ひばり

※YouTubeにアップされている曲目だけを列挙いたしました。

調べていて気付いたのですが、島倉千代子さんが歌った「東京だョおっ母さん」。

これが紅白歌合戦で一度も歌われなかったという事実を知り、なぜなんだと疑問。

島倉千代子さん、通算で35回もNHK紅白歌合戦に出演されております。なのに、代表作である「東京だョおっ母さん」が一度も歌われなかった…。

「東京だョおっ母さん」
作詞:野村俊夫 作曲:船村徹

(一番歌詞)

久しぶりに手を引いて

親子で歩ける嬉しさに

小さい頃が浮かんできますよ

おっ母さん

ここがここが二重橋

記念の写真を撮りましょうね

(二番歌詞)

やさしかった兄さんが

田舎の話を聞きたいと

桜の下でさぞかし待つだろ

おっ母さん

あれがあれが九段坂

逢ったら泣くでしょ兄さんも

(三番歌詞)

さあさ着いた着きました

達者で永生きするように

お参りしましょよ観音様です

おっ母さん

ここがここが浅草よ

お祭りみたいに賑やかね

昭和32年の発表当時から、最後の紅白出場となった平成16年まで、一体、何が問題だったのかNHKさん?と。

ネットでは諸説出回っております。

二番の歌詞が、読みようによっては、以下のように解釈できて、それがNHK内部で問題になったんじゃないかと。

桜の下で待つ兄がいる場所は九段坂、つまり靖国神社。
母親が泣くのは兄が戦死して祀られているから。

正直、真相が分からないです。けれども、この朝ドラ「エール」で、ぜひ「東京だョおっ母さん」を聞いてみたいと書いておきたいと思います&ありがとうございました。

朝ドラ「エール」の福島三羽ガラスとは?その意味と実在モデルを紹介

朝ドラ「エール」ネタバレあらすじを最終回まで。キャスト一覧も。

スポンサーリンク



スポンサーリンク

コメント